横須賀で、大きい道を歩いてる時に壁に目をやってみたら、「あ、これもしかして泥岩じゃないか、」となった。
ありえない数の記憶の引き出しが急に開いて、小学生の頃のクリスマスプレゼントに泥岩を頼んだのをおもいだした。それぐらい欲しかった泥岩を目の前にして今、とくに欲しいとかは思わなかった。その場で道路に名前を書いて、捨てた。
自分の名前も書いてもらった。
やっぱり欲しいものは欲しい時に手に入れないといけないとおもう。
欲しいものが欲しいからみんな働いているわけだけど、働くと時間が手に入らなくなる。
時間を買って未来の自分からその代金を引き落とすか、時間を売ってお金を買うかです。お金ばかり必要だな
おんなじ感じで泥岩に感動してた時の新鮮な感動を買うことができたとして、買わない。その時もう他に欲しいものがあって、そのために時間を売っているというのを予知できるから。