その場所に○月○日の私がいる


文通をしている人に、吉祥寺ハードオフと、新宿駅南口で撮った写真を送ったら、その人がその場所での思い出話をしてくれて、なぬー!となった。がち・なぬーです。

その人が持っているその場所の思い出と、自分が持っているその場所に対する思い出は、全然違うという当たり前のことが目に見えて、なぬーになった。例えばバスタ新宿に対して、訪れたことがある10人に聞いてみれば10人別々のバスタ新宿の思い出をもっていると思う。見え方も違うと思う。

その人はその場所に残っている思い出のことを、個人的な時期の気分と呼んでたけど、その個人的な時期の気分は死ぬまで自分の中で増え続け、自分が死んだ後も、自分と繋がっている何かによって残り続けるんだろなー

それは映像や写真もあり、会話もあり、全部資料や手掛かりのように残っていく。

本当になんでもないどの街にもある歩けば道になる土やコンクリートに、思い出を置いていくのだろなー

じぶんは、もっとたくさんいろんな場所に思い出を置いていきたい。100年ぐらい続けられる時間の中でできるだけたくさん、ちゃんと一つずつ思い出というものを置いていきたい。

 

毎日電車に乗ってビルへ向かい電車に乗って帰るピストン運動している私は、それをしている私自身が、映画のようで楽しいとおもう。映画のようにしてくれたたくさんの映画、漫画、本、アニメ、ありがとうございます。

そこにいる人たちとのおしゃべりがないと、バランスは崩れる一方なので、おしゃべりをする。でもその毎日の中で企んでいる。じぶんを感動させたり、岐路に立たせてみたり、脳にそれを焼き付けたり、その場所に思い出をおいてこようという、その壮大なたくらみと一緒に、毎日を過ごしていく。f:id:pinkypop:20240414224912j:image