自分は早く「全部どうでもいいです、君は君俺は俺!」になりたいとおもう
信念みたいなのが強い人ってなんというか、ちょっと攻撃的な人が多いようなきがする
自分もそうだから、こだわりの外側にいる人を傷つけたりすることがある
いつもごめんねと思って一年も二年もひきずる
本当はそんなんをして人を分別したいのではなく、罵りたいわけでもなく、
ただ勝手に自分の中でしたいからする!という風に信仰をしていたい。
自分がそれを誰かに強要したりするのはなんか変だなァとおもう
そしてそのこだわりは絶対にものさしではないと思う
べつに、JRスキーのポスターの女の子が、邦ロック好きと繋がりたいみたいな見た目だからって、そんなことはどうでも良いとおもう
チョコミントのこと嫌いな人に罵られたって、逆にチョコミントの過激派にものすごい怒られたって、そんなのはどうだって良いとおもう
この世の中のどこにもそれを否定する権利がある人なんかいないんじゃ、ないでしょうか、、
だけどすごい言われたりすごい否定されたりしても、別にその人のこと嫌いになったりするわけでもないから、すごく笑えるから嬉しいんだよ!辞めないでよ〜。言われるの別にイヤー!な訳じゃないなと思うから
今日の夜ご飯は納豆のお味噌汁とちくわぶ(生)だけど、誰になんと言われても良いと思っている
遠い目をしてひろく愛してるようになりたい
♫愛の壊し方/高浪敬太郎
♫ 科学的に見れば/高浪敬太郎
♫サイクリングロード/踊ってばかりの国